Biological recording 最前線

Biological recordingという言葉は、イギリスでは既にかなり浸透しているように思います。広義では生物に関するあらゆる種類の調査・観測、狭義ではいわゆる市民科学によって生物の在データを記録することを意味する言葉で、日本語では「生物観測」というところでしょうか。

イギリスにおけるあらゆるbiological recordsを総括しているNational Biodiversity Network TrustによるNBN conference 2015@Yorkに参加し、この国でのbiological recordingの規模に改めて衝撃を受けました。最前線という言葉は、様々な国の状況を知らないと本当には使えないのでしょうが、この分野に関してはイギリスが世界の最前線と言っても差し支えないでしょう、と思えた2日間でした。

このconferenceでGBIFの代表、様々な大学の教授陣、各分類群の調査を行う団体、そして大学院生やボランティア調査員まで、幅広い発表者による話を聞いて感じたのは、地域・分類群による情報のギャップ、種の同定スキルやデータの質の確保、データのオープン化、そして若者や子供、新しいボランティアをいかに巻き込むか、という4点がかなり普遍的な課題であるということでした。どの発表も大変興味深かったので、学んだことをここでも共有したいと思います。
まずNBN gatewayです。
ここでは分類群や生態系を問わず、様々な団体・個人によって記録されたあらゆる生物種のデータを集積しており、対象はイギリス国内ですが既に1億件、4万種以上のデータを収蔵・公開しています。GBIFが収蔵しているデータは6億件ですから、そのデータ量の多さが分かると思います。収蔵されているデータはウェブサイトで地図上に表示させたり、時系列ごと、サイトごと、種ごとやデータセットごとに様々な情報を容易に表示させたりすることができます。今後さらにこれらのデータを効果的に提示していくためのテストとして、9月から Atlas of Living Scotland というスコットランドを対象としたシステムも立ち上げられています。是非興味のある方にはこの2つのサイトは実際に訪れてみてもらいたいと思います。

同様にデータを集積・共有していく取り組みは、アイルランドNational Biodiversity Data Centreでも行われています。アイルランドの取組みで特に感銘を受けたのは、2010年に発行された Ireland’s Biodiversity in 2010: State of Knowledge にある、各分類群について現在までにどのような情報が得られているのか、欠けているのか(基礎的な調査がされているか、全国規模のデータベースがあるかなど)をまとめた取組みです。幅広い分類群について共通のフォーマットで「科学的知見の状態」をまずまとめることで、より戦略的なモニタリングや研究に効果的につなげていくことができると感じました。この発表をしたセンターのディレクター、Liam Lysaght氏とお話したところ、アイルランドではイギリスほど様々な取り組みが元々なかったため、こういった包括的な取り組みが比較的スムーズに行えたとのことでした。

種の同定スキルを向上させるための取り組みとして、ロンドン自然史博物館によるIdentification Trainers for the Futureというプログラムが紹介されました。これはインターンシップ制度などを通して、種の調査、同定、標本制作といってスキルをトレーニングするというものです。

Field Studies CouncilによるTomorrow’s Biodiversityというプロジェクトも種の同定・調査スキルの向上を目指したものです。Rich Burkmar氏からはこのプロジェクトの一部として、multi access keyを用いたミミズ類の同定サポートツールの紹介がありました。頭部の形状や環帯の位置など複数のaccess keyを選択・入力していくと、条件に合致した種が絞られていくというものです。

モバイルアプリによる種同定サポートもかなり普及してきたという印象を受けます。natural apptitude社のブースで紹介されていたiRecord Butterflies では、全国モニタリング調査の結果に基づいて、時期や場所によって可能性の高い種が絞り込まれて表示されるという仕組みになっているそうです。

さらには種の同定を"クラウドソーシング"するという取り組みも今や珍しくありません。twitterfacebookなどで個人的に写真をアップロードして聞く方法から(@wildlife_idという種同定目的のツイートをリツイートしてくれるアカウントもあります)、Open Universityが主導するiSpot では、同定者のこれまでの「成績」によって同定の信頼性を評価するというシステムを確立しています。詳しくはこちらの論文を。投稿されたレコードの58%が1時間以内に同定されるとのことでした。

様々な団体による発表はどれも大変興味深いものでした。
BTOのAndy Musgrove 氏は、ornithology(鳥類学)にかけてomni(全体の)-thologyという概念を提案。膨大な鳥類のデータを集積するBTOの調査に協力するバードウォッチャーが、他の分類群データを集める可能性について紹介していました。例えば、BTOによるGarden BirdWatchではマルハナバチ類、Breeding Bird Surveyでは大型哺乳類、BirdTrackではトンボ類や哺乳類の記録も相当数集められているそうです。
BTOのブースではBTOの調査を支えるボランティア調査員の動向についても話を伺うことができました。全体としてボランティア調査員が減る様子は無いそうですが、詳細を見ていくと、BTOの調査では最も長く続けられているサギ類のコロニー調査には若い世代が参加していないとか、標識調査に参加する若い世代は女性が多いなど様々な傾向があるそうで、ボランティア調査員の動機を理解するうえで興味深い情報だと感じました。

British Lichen Society では、約20人のボランティア調査員が過去50年で種の在データを約180万件収集・投稿して作成したデータベースにより、地衣類の分布縮小が明らかになりました。

SeaSearch というプロジェクトは趣味のスキューバダイバーからのレコードを集め、海域の貴重なデータを大量に収集し、NBNgatewayを通じて公開しています。

発表はボランティア調査員からも数多く行われました。スコットランドの北端にある諸島、Outer Hebridesにおける8人のボランティアによるあらゆる生物相の調査。Christine Johnson氏の発表からは、地元の生物相について質の高いデータを収集するために、誇りをもって荒天候の中でも長年の調査を続けている様子が垣間見えました。
生粋のボランティア調査員のBill Ely氏。データのギャップを自ら探して調査にいくそうです。データの空間的ギャップをデータベースで分かりやすく提示できれば、こういった動機をもつ調査員にとっては有用な情報になるだろうと感じました。
こういったボランティア調査員による貢献を非常に重要視するNBN trustの姿勢は、初日の夜に行われた授賞式で、特に大きな貢献をした個人を表彰していた点にも表れていました。Bill Ely氏はNBN Honorary Membershipを受賞していましたし、Terrestrial and Freshwater awardsとMarine and Coastal awardsにはadultとyouthカテゴリーがあり、youth awardは数万件のレコードを投稿したという10代前半の子どもが受賞する、という一幕も。
賞はなんと豪華スワロフスキーの双眼鏡と2万円近い商品券です!

昨年にNBN TrustのCEOに就任して以降、NBN Trustの活動を強力に推進し、今回もGBIFの代表からボランティア調査員まで実に幅広い人材を集めてこのようなconferenceを開催させたJohn Sawyer氏ですが、conferenceの2週間前に心不全で急死するというショッキングなニュースが届けられました。私が彼と直接会ったのは今年の夏前にただ一度きりでしたが、Michael Hassell氏と共にビルを訪ねてきたその時に、私が紹介したGBIFデータの空間的偏りの話に興味を持ってもらって、今回発表することを誘っていただいたというご縁でした。その時にNBNgatewayを実際に操作して見せてくれながら、近い将来こんなこともしたい、あんなこともする予定だ、と目を輝かせて話してくれたのが印象的でした。少し話しただけですぐに、明確なビジョンと多くの人を巻き込んで物事を推進していくリーダーシップがある人だなと感じたことをよく覚えています。
Sawyer氏が中心となって作成された最新のNBN Strategy 2015-2020 (PDF)を読むと、彼のビジョンがあたかも直接語りかけられているかのように伝わってきます。

Conferenceの最後には、何よりもオープンデータの推進に心血を注いでいたというSawyer氏の生前の意思に呼応する形で、BTOのディレクターAndy Clements氏からBTOが所有するデータ1億5千万件をNBNgatewayに提供するという発表がありました。BTOは鳥類データの量、種類、質全てにおいて世界トップの機関と言っても過言ではないと思いますが、そのデータを利用するためにはBTO内部の研究課題との調整など様々な条件をクリアする必要があり、どちらかと言えばデータのオープン化には保守的な機関だという印象を持っていました。その団体が今回こういった決断をしたというのは本当に衝撃的で、Sawyer氏の意思がひとつ世界に違いをもたらした瞬間を目撃して、奮い立つような想いをしました。私も一歩ずつでも自分にできることを押し進めていこう、そんな気持ちを改めて強くした貴重な学会経験となりました。