ひらめき。

昨日の夜、フトンにもぐってからちょっと研究に関していいことを思いついた。
ふと。
まぁ今後の研究計画といいますか。
嬉しくなってその後もいろいろと考えが(勝手に)巡り、なかなか寝付けなかった。
 こんな「ひらめき」みたいな体験は、大小を問わなければ時々ある。そして数少ない自分の経験からすれば、それは大体がんばって集中して勉強して、それを反芻するというか、ちょっと離れて考え直しているようなときに起こることが多いように思う。
 僕はいわゆる「受験戦争のレール」の上にそのまま乗っかってきたようなタイプの人間なので、これまでは「ひらめき」みたいな新しいことを創造する作業は向かないんじゃないかと漠然と思っていた。ただ最近思うのは、自分を含めた多くの人のような凡人のレベルでの「ひらめき」みたいなもんは、結局勉強や、体験などの問題整理から、ふと産まれるんじゃないかな、と。まぁそう考えればそれは「ひらめき」とは呼ばないレベルのものかも知れないけど。
 その「ふと」産まれるタイミングは未だによくわからない。例えば、過去に何も感じなかった同じ論文を読んだとしても、その後の学習や経験によって、全く違った印象をもつことはよくある。「ひらめき」というより、「理解」と呼んだほうがいいのかもとも思う。理解はなだらかに上がっていくんではなく、段階的にあがっていって、そのワンステップ急激に上がる瞬間を、ボンジン的には「ひらめき」と感じるのかも知れない。なんかこんな話、どっかで聞いたような気もするけど。。。
 まぁ、どんな小さなことでも、その瞬間というのはやっぱり学問の醍醐味なんでしょうね。この点は多くの人の共感を得られるのではないかと思います。