お礼参り其の二:みやじまぬまのヒト

これまで僕は計6年間、宮島沼に調査をしに行っていましたが、調査期間は年に二ヶ月強なので、実のところ滞在期間は思ったより多くはありませんでした。ところがいつのまにか、数日滞在すると、そこにいることが自然に思える街となっていました。
普段住んでいるわけでもなく、自分の故郷でもなく、遠い北の方の(失礼)、以前は名すら知らなかった(失礼・・)この街が、いつの間にかこんなにも居心地のいい場所となっていたのは、ただひとえにここで知り合った多くの方々のおかげだと思うのです。
農家の方々、小学校の先生・児童、市役所の方々、宮島沼に集まる方々
それはもう多くの方々が、僕を温かく迎え、協力し、また支えてくれました。長年住んでいても自分の居場所は点在しかしていなかった東京に比べ、このどこに行っても温かく迎えてくれる雰囲気が、僕にとって居心地のよさとなっていたのだと思います。
今回の滞在は、そういったお世話になった方々に、就職できたとご報告できると同時に、もう以前のように長期調査に来ることはなくなると伝えなければならない、少し辛い滞在でもありました。ご挨拶に行った先で、食事の席で、酒を飲みながら、どこに行っても明るい笑顔で、「第二の故郷と思って」 「また遊びにおいで」 「元気でがんばってな」 と言っていただいて、胸がいっぱいになりました。
この6年間、僕はあの方々に本当に多くのことをしていただき、ご迷惑もおかけしました(特に宴席で・・)。一方で、僕はあの人たちのために何ができたのだろうか、というのは、常に気にかかっている部分です。マガンの食害対策?保全管理策?環境教育?東大からわざわざトリを追っかけにきているというモノ珍しい話の種?どれも十分であるとはとても言えません。それでも僕はあんなにも快く迎え入れてもらえました。自分にも同じことはできるでしょうか?
僕に何ができるかは、これからずっと心に留めておかなければならないことだと思っています。ガン類の保全管理、宮島沼での問題への還元・・・多くの方々の支えがあって、今の立場にたつことができたわけですから、サイドワークとしてでもそういった研究を続けていくことで、恩返しと言えるほど大そうなことができるかはわかりませんが、あの方々のために何か少しでも役に立つことをしていけたら、と思っています。
宮島沼に関わる多くの方々と、面倒見のいい先輩、しっかりした後輩に囲まれて、寒さと眠さに耐えてすごしたあの日々は、一瞬一瞬がすばらしい思い出です。これからはまた、新しい関係を築いていきたいと思います。