英語の文章

書いていた論文を何とかまとめ、何人か見ていただく方に送信。
学会やフィールドシーズンが始まる前にとりあえず形にできてよかった。
この論文は農地性鳥類を幅広く扱った記載的な研究ではあるものの、できるだけ早く国際誌に出したいと思っている。
というのも、「農地の鳥」の研究をやっているということになっているのだけれど、出してきた論文はマガンのものがほとんどで。今の職場は国の研究機関(一応独法だけど)ということもあって、思っていた以上に国際的な交流がある。他の国から「日本の農地の鳥研究はどうなってるんだ?」と問い合わせが来ることもあるし、各国が参加する国際会議のために情報を提供するようなこともある。
そんなときすぐに提示できる英語の情報は本当に限られている。ウェブでも英語での情報はほとんど無いに等しい。かといって自分も貢献できていないので人のせいにできるはずもなく、ますます心苦しい。
自分の一論文がどこまで貢献できるのかは分からないし、日本語ででも情報は発信していかなければならないのだけれど、「英語論文」というのがまだまだ需要と供給のバランスが大きく崩れた分野であるからには、今回の論文のような地道な努力も怠らないようにしていきたい。
大学院時代は論文を書くことの目的は、「おもしろいから」以外には「就職のため」がかなりの部分を占めていた。今となってはそんなわけで、国内を対象とした応用分野の論文であっても、英語で論文を書くことの重要な目的を感じられるようになってきた。情報を多くの人に知らしめる、というのが論文のような出版物の本来の目的なのだから、そういう意味ではようやくまっとうな動機で論文を書けるようになってきたのかもしれない。
あと単純に自分の研究を世界中に紹介できるというのは、やっぱり嬉しい。こないだ島根で一緒になったUSGSの研究者にも、僕の論文を読んだと言ってもらえてえらく感激した。
「英語の文章」という関連では先日、考えさせられる出来事があった。とある国際会議での資料を何人かで分担して日本語で書き、業者に翻訳をしてもらうという機会があった。しばらくして返ってきた英語の文章は、なかなかにひどいものだった。明らかに科学的な表現に慣れていないような翻訳だったし、これは仕方ないけれど内容を理解していないゆえの誤訳もあった。これなら英語力不足を差し引いても自分で書いたほうが明らかによかったと思う。自分の担当箇所だけは必死に直したものの、その後この資料がどうなったのかはわからない。考えさせられたのは、あのままの文章が国際会議の場に出る可能性もあったということ。研究成果を自分自身の力で人に伝えるための言語能力。今回はもちろん英語だけれど日本語も同様に、研究者にとって必要なスキルのかなりの部分を占めるのではないかと改めて感じた。