本当に違うもの

tatsuamano2009-08-30

外ではずいぶん冷たい風が吹くようになり、夏もいよいよ終わりだなと感じます。街ではこれまであまり見なかった日本人の姿をよく見かけるようになりました。新居を探しに自宅を見にきた何人かの中に、偶然日本人がいたので聞いてみると、なんとケンブリッジ大のMBAコースに同級生が14人もいるそうです。自分とは若干立場が違うものの、確固たる目標を持って新しい環境での生活を始めようとしている人々を見ると、ちょうど一年前この街にやってきた時の気持ちが思い出されます。
最後の一週間は、本当にあっという間に過ぎてしまいました。一年前は毎日の生活が自分の生活でないように感じたこの街も、この大学も、今ではすっかり日常になっていることが驚きです。そこから去らなければならないという現実に悲しくなりそうで研究に没頭してみたものの、避けようのない切ない気持ちに襲われています。



ビルとはこれまで幾度となく行ってきた「チャット」を最後にもう一度行いました。改めて滞在中に行ってきた研究テーマを書き出したところ、ずいぶん数多くあって自分でも驚きました。そのひとつひとつについて今後の方針を確認した後、本当に素晴らしい研究環境で期待以上だったと伝えると、
「もちろんインタラクティブな環境だったということもあるだろうが、何よりそれは「君」だったからだよ。」
そう正面から目を見据えて言われ、何とも胸が熱くなりました。



短い期間ながらもケンブリッジ大に滞在してみて、何を学んだだろうかと振り返ってみると、それは「何も違わない」ということだったような気がします。
右も左も分からずケンブリッジにたどり着いた一年前、何もかもが違うと感じていました。人、食べ物、慣習、研究、そしてもちろん言語。全ての違いが毎日の生活を非日常のように感じさせていました。
しかし、その後時が経つにつれて、「あ、別にこれは違わないな」と、ひとつひとつに気づくようになったのです。何かうまくいかないことがあるたびに、「外国だから」と言い訳したくなり、「日本ならこんなことはないはず」と逃げてみようとしましたが、その試みは常に「日本でも同じことか…」という結論で終わりました。
論文審査の一喜一憂、D論やM論執筆の苦悩。Rの習得に挑み、一方で教官への研究報告に尻込みする学生たち。学生の指導に頭を悩ます指導教官がいれば、想像に反して休日や深夜に研究している学生もいました。研究室に入りたての学生から、大御所の教授陣まで、そこにいたのはただ一人の人間で、それぞれに悩みや問題、弱点を抱えて毎日を過ごしていました。異なる外見や文化、言葉をまとった人間そのものは何も変わらないと感じたのです。



むしろ最も「違って」いたのは、何もかも「違う」と身構えていた自分の考えでした。研究室や学部は、イギリス人に加えて多くの国からの留学生で溢れています。オーストラリア、ポルトガル南アフリカアメリカ、インド、ブラジル、エクアドル…。学会やワークショップではさらに多くの国の人々と出会いました。皆が異なるバックグラウンドで異なる国民性を持っているにも関わらず、お互いの感覚は「他国からの留学生」、というよりも「出身地域が違うクラスメイト」くらいのものでした。もちろんそれを受け入れるイギリス、そしてヨーロッパの許容範囲が大きいのは間違いありません。人によって違いはあるものの、外国人がいる生活というのは彼らにとって日常であるような気がします。



「何も違わない」と感じ始めてもなお、毎日が刺激的であることに変わりはありませんでした。開き直って飛び込んだこの世界では、果てしない研究者ネットワークが広がっていました。修士から研究を始めた学生が、一か月後には全世界の種数分布データにアクセスできているなんて、以前の自分には想像すらできなかったことです。面白い研究、影響力の大きい研究を行うために必要な、アイデア・データ・スキル、そのすべてを持ち合わせている研究者はこちらでもそれほど多くないように感じました。それでも、豊富なデータを持っていながらテーマ設定に迷う学生は指導教官のアイデアに助けられ、一見実現困難に思えるようなアイデアをもつ学生は、共同研究者から提供されるデータやスキルによってそれを現実のものとしていきます。たとえ自分が欲するデータやスキルをもつ研究者を近くに見つけることができなくても、研究者のネットワークは容易に大学を、国をも越えていくのです。自分にとってそんな研究環境は、キラキラと輝いた可能性があちこちに転がっているように感じられました。それは、何もかもが違うと身構えていた以前の自分には見えなかった可能性です。



最終日にはビルの自宅での食事へ他の同僚たちとともに招かれました。ビルは気さくで、ユーモアがあり、そして常に研究に対する情熱を保ち続けている人格者でした。グループの同僚たちもみな温かく、様々な国で、様々な研究テーマに取り組んでいる仲間が数多くできました。研究を始めた頃から憧れていた彼のグループを滞在先として選んで本当によかったと思います。また農環研や家族など、多くの人のサポートがあって充実した一年間を送れたことに感謝しています。
最後にみんなからカードをもらった直後、窓の外では雨が降り出しました。なかなか最後の挨拶を切り出せず、いつもと変わらない話を続けていたのですが、ついに時間が迫り、ひとりひとりと別れの言葉を交わして帰宅の途につくことになりました。英語には涙雨という言葉はないようです。多くの研究者にとってその人生が交差し、離れてはまた交わるこの街では、別れは悲しいものではないのかもしれません。
これで終わりか、これが始まりか。それは今後の自分自身にかかっています。30歳を迎えた一年前、どうなるか分からないイギリスでの生活へ思いを馳せていました。31歳となった今、いい意味でますます自分の研究人生はどうなるか分からなくなってきたと実感しています。