イギリスと給餌

こちらでも紅葉の時期となりました。とはいえ鮮やかな赤い葉の木はほとんどないので黄葉ですね。

また、引っ越してから研究室が5階となったため、夕陽や鳥を見る機会が増えました。キセキレイが大学の屋上に居ついていること、ハヤブサがキングスカレッジ礼拝堂の上によくとまっていること、ハイタカも時々見られることなど、2階にいた時には分からなかった新事実が続々と…。

先週はPart IBと呼ばれる学部2年生のフィールドトリップに帯同させてもらう機会がありました。講義「保全科学」の一環としてのもので、担当がビルということで手伝いを兼ねての参加です。トリップと言っても、ケンブリッジ近郊にあるWWT Welney Wetland Centreへ半日で行って帰ってくるという簡単なものでした。
学生の参加は任意とのことでしたが、20〜30人ほどが集まり、バスで移動します。この観察センターはOuse Washesという湿地帯に隣接しています。この地域は、水害防止のため2本の水路の間の低地を30kmにもわたって冬期湛水するため、ガンカモやシギチの生息地となっており、ラムサール条約にも登録されているそうです。
一帯は元々Fenと呼ばれる湿地だった土地を農地にしており、この地域に入った途端に車道がぐねぐねと上下に湾曲を始め、美唄の道路を思い出しました。センターに近づくとビルが学生に向かってスケジュールを簡単に説明し、滞在中にこの地域がなぜ重要なのか、どう重要なのか考えてほしい、とだけ伝え、一同バスを降りセンターに向かいました。
センターではレンジャーの方が一通りの説明をしてくれます。土地の性質、渡来する鳥類種、オオハクチョウアイスランドからひとっ飛びにやってくる一方、コハクチョウはロシアから飛び石状の渡りを行ってくること。ホシハジロはほとんどオスしかいない、等々。
簡単な説明が終わると、後はスコープと双眼鏡を渡して1時間半ほどの自由時間です。メインの観察所からは、オオ・コ・コブハクチョウ、ハイイロ・カナダガンマガモホシハジロハシビロガモオグロシギエリマキシギ、アカアシシギ、タシギなどが見られました。

そして何とこのセンターでは、毎日のメインイベントとして餌付けをしているのです…!

以前もこのブログでイギリスにおける給餌の認識について取り上げたのですが、こういったリザーブでも給餌が続けられていることは初めて知りました。今回はビルにも少し聞いてみたのですが、餌付け禁止の動きは特にないと思うとのことでした。さらに興味深いことに、ビルが帰りの車内で給餌することのリスクや利点などを学生に問うと、給餌への依存や感染症、水質悪化など、多くの学生はそのリスクを正確に理解しているのにも関わらず、「給餌は禁止すべきか?」という問いに約2/3の学生は「禁止しなくてもよい」という回答をしているのには驚きました。
イギリスでは以前ブログで紹介してからも、給餌の実態や鳥類に及ぼす影響などについていくつもの研究が出版されています。例えば、越冬期の給餌がアオガラの繁殖成功を低下させる (Plummer et al 2013)、イギリスでは64%の家庭が給餌を行い、年齢が高く、年収の低い家庭ほど給餌を行う割合が高い (Davies et al 2012)等々。
さらに、2005年におこったアオカワラヒワやズアオアトリの急激な個体数減少は、ハト類を起源とした感染症(ハトトリコモナス: Trichomonas gallinae)が原因であると特定され、その感染経路として一般家庭の餌台が有力視されています (Robinson et al 2010, Lawson et al 2012)。
こういった事実が明らかになっているのにも関わらず、鳥類への給餌は自粛しましょうという方向になかなか話が進んでいかないところに、生物や自然に対して意識の高いこの国における給餌という問題の複雑さがよく表されているのだと思います。様々な人と話をする中で感じるのですが、給餌が鳥類にもたらすリスクは理解されながらも、研究者レベルにおいてすらそれを鳥類保全の一環として認識している人もいるようです。日本では市民レベルで給餌自粛が進んだ背景には鳥インフルエンザの問題があったと思いますが、それ以前も研究者で給餌に賛成する人というのはほとんどいなかったように思います。イギリスで研究者レベルでの給餌に対するこの認識を形成しているのは、庭のbird feederを通して鳥類の世界に触れてきたという文化的背景なのでしょうか。
研究者や政府はもちろんのこと、一般市民の環境や自然に対する意識や態度が国によってどのように異なっているのか、その要因は何なのか。これらを理解することで、社会レベルで環境や生物多様性保全を推進していくために示唆を得ることができるかもしれません。以前から興味を持っているこの問題については、今後も考え続けていきたいと思っています。

パートIIプロジェクト

11月を目前にして、いよいよ本格的な冬の冷たい空気が感じられるようになってきました。日中の天気は比較的いいのですが、先週末を境に冬時間に戻ったため、夕方の暗くなり方が半端ではありません。帰宅時に暗い日が続くと、もう今年も終わりだな…と思ってしまいます。

10月から新学期が始まり、しばらくざわついていた街の雰囲気が落ち着く今ごろは、1年の間でも静かな時期と言えるかもしれません。
普段研究室で時間を過ごしていると、日本の大学と同様、学部生と関わる機会というのはほとんどありません。大学院生にとって学生生活の中心となっているカレッジでも、学部生との関わりはほとんどないそうです。しかしながら、そんなポスドクや院生にも学部生と関わる機会が2つほどあります。ひとつはsupervisionと呼ばれる個別面談システムです。1〜4人ほどのグループに対してひとりのsupervisorがつき、毎週講義に関連したよもやま話をしたり、読み物をしたり、エッセイを書いたり、議論したりする、というものです。例えば保全科学の講義がある際には、研究室のポスドクや院生から何人かが担当するのですが、延々と話をしなければならないため私には敷居が高く、その辺も考慮されてか大抵英語ネイティブの院生が順繰りにやっていくという感じで回っています。
そしてもうひとつ学部生と関わる機会が、パートIIプロジェクトと呼ばれる小規模な研究プロジェクトです。パートII学生と呼ばれる最終年度の3年生が、各研究室から提案されたテーマを選び、担当者の指導の下、プロジェクトを進めてレポートにまとめるというものです。3年生は、10月頭から12月頭のMichaelmas term、1月中旬から3月中旬までのLent termの2学期で、1つのtwo-term projectか、2つのone-term projectを終えることが義務付けられています。
今学期はちょっとしたことから、このパートIIプロジェクトで学部生の担当をすることになりました。きっかけは、外部の研究者と考えていた共同研究を学部生にやってもらおうというものでした。このパートIIプロジェクトは、大学内外の研究者にとって手間暇のかかるちょっとしたアイディアの研究を進める機会にもなっているようです。実際これまでの統計によれば、20%ほどのプロジェクトは1年以内に論文として出版されているそうです。アンドリュー・バームフォードもこれまでこの論文この論文など、何本もパートIIプロジェクトから論文を出していると話してくれました。
夏休み期間中に2つの短いプロポーザルを提出すると、学期の始まりと共に、興味をもった学生からぼちぼちと連絡が入り始めました。プロジェクトの希望を提出するまでに、説明を聞きに研究室を訪ねてくる学生もいます。学生によってテンションも状況も様々です。様子や顔色を伺うような雰囲気の学生もいれば、「絶対にこのプロジェクトをやりたいんです!」と意気込む学生、「本当は第一希望のプロジェクトは他にあって、このプロジェクトはできれば次の学期にやりたいんですが…」と正直すぎる事情を説明する学生などもいます。他との重複によっては希望するプロジェクトに配属されない可能性もあるため、「他にこのプロジェクトを希望している学生を教えてくれれば、皆で協力してできないか打診してみますよ。」と妙な策略を練ろうとする輩まで…。よく言えばフレキシブル、悪く言えば何でもありの様相です。結局、学生の訪問は希望提出締め切りの朝まで続きました。
その後しばらくして、学部事務から学生の割り振りについて連絡が来ました。提案した二つのプロジェクトにそれぞれ二人ずつ、ペアで見てもらえないかと…。データを協力して集めて、同じ解析をして、同じ結果を使ってそれぞれ別々にレポートを書けばいいのだそうです。ビルと相談して、いやいやそれは無理でしょうと返事をしたのですが、全体のプロジェクト数が少なかったこともあるようで、先方もなかなか引きません。そうこうしているうちに、割り当てられた学生のひとりがペアでは嫌だと言い出す始末…。結局、急きょもう一つ似たテーマを考えることで、結局計4人の学生の配属が決まりました。
なにせ今学期はクリスマス前まで、もうあと1か月強しかありません。早速学生一人ずつと会い、それぞれ話し合って方針を伝え、作業を各自で進めてもらうこととしました。学期中の学部生は講義や宿題(?)が多く、下手なポスドクより遥かに過密なスケジュールをこなしているようです。そもそも面会のスケジュールを合わせるのも大変で、作業はちょっとした空き時間や夜間、週末に進めると多くの学生が話していたのも印象的でした。
こうやって何人かの学部生と話す機会をもったのですが、どの学生からも例外なく非常に聡明そうな印象を受けました。物事の理解や飲み込みが非常に速く、それでいて大量の作業もまるで厭いません。その一方で、学生によってはその優秀さと表裏して、要領の良さのようなものが見え隠れする感じもしています。四者四様のスタートを切った彼ら彼女らが、今後どのような進展を見せてくれるのか、プロジェクトの成果と共に楽しみにしています。

研究室引っ越し

ようやくフェローシップへの応募を終えました。少しだけ締め切りのずれた2つの応募があったのですが、最初に提出した方がはるかに短いプロポーザルでよかったため、一旦完成させたプロポーザルを二つ目にあまり活かせないという苦しい結果に…。締め切りを直前にして出てこない文章を何とかひねり出すという経験は久しぶりでした。ただお蔭でプロポーザル的な売り込み文章を書くことにだいぶ慣れたような気もします。
ビルや他の共同研究者にサポートを確約する文章や推薦状を書いてもらう機会も多かったのですが、かなり綿密に文章を練ってくれていたのが印象的でした。これらの文章は思っていた以上に選考上重要なのかもしれないと感じる一方、それを準備してもらうのには想像以上の労力が必要そうで、多忙な人達にこれらを依頼するのは心苦しいながらいい経験となりました。何事も依頼は早く、という単純な基本はやはり重要です。
いずれにせよ、これでまた研究に労力を集中することができるという解放感に浸っております。
そんなこんなでバタバタとしている間に、なんと研究室を引っ越しました。
動物学部では、2015年(?)までに現在の博物館が入っている建物を全面改修することで、大学や周囲の関係機関から保全科学の研究者が文字通り一堂に会する、Conservation Campusの完成を予定しています。これは元々「世界で二番目に多い」と言われているケンブリッジにある保全関係の研究機関間のコミュニケーションを、さらに促進させようという壮大な計画です。
今回の引っ越しは本格的な工事開始を前に、この計画の土台となる建物に現在入っている研究室や博物館関係者、さらにConservation Campusへの入居を予定している保全関係の研究室が一時的に別の建物に移動するという大がかりなものです。が、私の所属する研究室の引っ越しは予想外にあっけない感じで特に問題もなく半日ほどで終了しました。

1週間ほど前に各自の荷物を入れて運んでもらうためのハードボックスが届けられました。一通り入ってみて大きさを確認(笑)

当日10分前くらいまでに各自荷物を収納します。ほとんどの人は個人的な荷物はあまり多くないため、一人当たりに写真中央の赤いボックスをひとつで十分収まる程度でした。研究室にあった共用の荷物もボックス2〜3個分ぐらいだったでしょうか。イスやキャビネットも含め、テープに行先を張っておけば業者が運んでくれます。ちなみに、コンピューターは梱包皆無でのボックスへの直入れ!色の違うボックスが指定されたため、一応気を付けて持って行ってくれていたとは思うのですが…。実際特に問題はなかったようでした。

荷物が運び出され空になった研究室。ビルがケンブリッジに移ってから約6年という部屋の歴史はあっという間にゼロとなりました。メンバーの間に感慨らしきものはあまりなく、ビルに至っては当日不在で、代わりに業者が部屋の書籍を片っ端から無造作に詰め込んでいました。
各自残された荷物をもって敷地内にある引っ越し先へ徒歩で移動。程なくして業者がボックスやキャビネットを運び入れてくれました。

過去に所属を移る際に、自分の研究拠点の引っ越しというのは何度か経験しましたが、個人的にも今回が最も荷物が少なく簡単でした。ちょうどこちらに来てから論文を読む際にプリントアウトをしなくなったのが大きいのかなと思います。

しばらくしてイスなどその他の荷物も届き、結局2時間後くらいには仕事を再開することができました。
新しい建物では3人部屋の窓際となり、なかなか快適な環境です。ただこれまで全員が同じ部屋だったサザーランドグループは、隣同士ながら3つの部屋に分かれることとなり、少しコミュニケーションの形が変わっていくのでないかという感じもしています。一方で今回の引っ越しによって、今まで2階と4階に離れていたサザーランドグループとバームフォード・グリーングループが同じフロアに入ることとなりました。こちらでもこれによって今までなかった交流が生まれるなど、人の配置やそれに伴う動線の変化によってコミュニケーションが大きく変わりうることを実感しました。最終的に多くの保全科学者を新しい建物に集めることで得られる効果もよく分かるような気がします。

新しい研究室は建物の5階となったため、廊下の窓からはケンブリッジの象徴、キングスカレッジを望むこともできます。

引っ越し後に知ったのですが、この建物には以前、キャベンディッシュ研究所という有名な物理学の研究所が入っており、1953年、まさにここでワトソンとクリックによってDNAの構造が決定されたそうです。ちょうど60年前、この建物の中で二人がお茶を飲みながら議論したり、あの論文を書いたりしていたのかと想像してみたりしています。キャベンディッシュ研究所はこれまで29人(!!)のノーベル賞受賞者を輩出しているそうで、ここにいる間に少しでもその恩恵(?)を被りたいものです。
そんなこんなで私たちの研究室の引っ越しはさして大ごとではありませんでしたが、博物館の収蔵品整理が相当の「大ごと」であることは想像に難くありません。

上からのぞいただけでも大変そうな雰囲気が…。白く梱包されているのはつるされて展示されていたイルカなどの骨格標本です。ホームページによるとボランティアを募って梱包作業を進めているそうです。
 
博物館の上に展示されていたナガスクジラ骨格標本も解体されつつあります。26年間にわたってこの場所に展示されていたというこのクジラは、まさに動物学部のシンボル的な存在でしたが、新しい建物で再展示されるまではしばらく見納めとなります。どこに行ったのかと思っていたところ、私たちの新しい研究室と同じ建物の一角にひっそりと収納されていました。

これからいよいよ本格的に工事が進んでいくConservation Campusは、約2年後の完成が見込まれています。その時に自分がここにいるのか今はまだ分からないのですが、できることならばこの目でその時どんなことが起こるのかを見てみたいなと思っています。

文章

9月に入ったなと思っていたのもつかの間、いきなり冬のような気候になってしまいました。秋はどこに行った?と取り乱しかけましたが、よく考えれば季節は4つというのも固定観念なのかもしれませんね。いずれにせよ、冬の前に秋という季節があることは素晴らしいと思います。

9月3日:さわやかな秋晴れ

9月12日:冷たく暗い雨の朝

9月13日:同上(以降、繰り返し…)
さてここのところ、次のフェローシップのためのプロポーザルを書いています。論文やメール、一般の方に向けた文章、査読レポートからブログに至るまで、研究者としてのかなりの時間を文章を書くことに費やしていますが、新しい研究のプロポーザルというのは中でも特に難しいと感じています。いい文章を書くためには、(1)根底となるアイディアや思考、(2)それを伝えるためのロジック、(3)ひとつひとつの文の分かりやすさ、という3つの要素があると思いますが、新しいテーマのプロポーザルというのはその全てが不完全な状態であるところから始める場合が多々あります。
自分がずっと思い描いてきた研究でついに出た成果を使って論文を書く場合などは、1も2も固まっていますから、書きたくて仕方ないというくらいの時もあります。逆に言えば、今の自分のようになかなか筆が進まないという時は、1の部分がはっきりしていないということを表しているのだと思います。
自分が書いた文章を人に見てもらったり、人の文章にコメントしたりする機会も多くありますが、そういった際に役に立った・立てた、と感じられるのは、3かせいぜい2の部分に関するコメントであるような気がします。いずれにせよ、いい文章を書くためには、1の部分をはっきりとさせておくことが重要であると改めて感じます。文章にはやはり自分の頭の中が如実に反映されますね。
さて先日、(恐らく)スペインの方のこんなブログから、linguistic injusticeという言葉を初めて目にしました。
Clavero M (2010) ‘Awkward wording. Rephrase’: linguistic injustice in ecological journals. Trends Ecol Evol 25: 552–553.
こういった言葉にするとずいぶんと大ごとなようにも感じますが、確かに母語は自分で選べるわけではない上、アカデミアでは確実に影響力をもつため、injusticeと言ってもおかしくないでしょう。そして少なくともアカデミアにおいては、このinjusticeについて真剣に対処されることはほとんどないように思います。上記の意見論文では雑誌側による英語校閲などを改善策として挙げていますが、各論文の問題がinjusticeといえる3の部分だけに起因するのか、それとも1や2の部分にまで関係しているのか区別するには相当の労力がかかるはずで、雑誌や出版社が一つ一つの投稿論文についてそれを完璧にできるとは到底思えません。
一方もうひとつ挙げられていた、英語が母語の人たちの意識を変えていくというのは重要だと思っています。文章にしても議論にしても、例え3の部分が言語のために完全でないにしても、それは1や2の部分に問題があるというわけではないということが伝われば、相手の態度が変わることをこれまでも経験してきました。そしてそれを理解してくれた人は、その後も非ネイティブに対する態度が変わっていくかもしれません。
さらにもうひとつ、自分の中での意識も重要だと思います。英語がネイティブのようにできないのは当然で、それは自分の能力や人格を否定するものではないと切り離して考えることが、英語環境で研究生活を続けていくためには大切だと感じています。
そんなわけで英語能力の向上はもちろんですが、それ以上にアイディアやロジックを明確にし、常にいい文章が書けるような頭の状態にしておくことを今後も目指したいと思います。このブログの文章の意図が、読んでいただいた方にいま一つ伝わっていないとしたら、それはすなわち3はもちろんのこと、1と2の部分も自分の中ではっきりしていなかったということで、もう一度出直してきたいと思います。
そんな諸々を考えながら、週末はプロポーザル書きを放棄し、黙々とジグソーパズル作成に取り組みました。この2年で3作目となります。そろそろ趣味はジグソーパズル、と公言してもいいくらいかもしれません。

どうしても無地の部分を残してしまいます…

2年

先週、ちょうど渡英して2年目を迎えました。1年目と同様、振り返ってみるとあっという間に過ぎてしまいましたが、反省点もあり、成長したと思える点もありの1年間でした。
まず研究ですが、想像以上に2年目も論文を出すことができませんでした。ちょうど1年前に同じ危機感を抱いて、それからは自分が最もやりたいと思ったいくつかの課題に集中的に取り組んできました。結果、その筆頭だった言語の絶滅リスクについては半年ほどで原稿化まで至りましたが、その後なかなか論文発表までたどり着けずにいます。インテコルの発表までに論文にできていればよかったのですが、この点は非常に残念です。2〜3年前から取り組んでいる開花フェノロジーの研究課題、今回の渡英時から取り組んでいる水鳥の絶滅リスク評価についても、いくつか障壁があり、いずれも匍匐前進状態です。
一方、渡英して最初の1年で開始した共同研究の多くが、共同研究者の手によって2年目で何とか原稿化まで至り始めています。気候変化に伴う鳥類の体サイズ変化や生物個体群の応答、西アフリカの農地管理と生物多様性、南アジアにおけるハゲワシ類の個体群回復、資源動態に対するネズミ類の個体群長期応答、アマゾンにおける森林伐採と狩猟圧の変化、ジオエンジニアリングのhorizon scan、両生類のevidence-based conservation等々。それぞれへの貢献度は様々ですが、これらの共同研究を通じて多くの研究者と議論を交わし、自分なりに貢献しながらひとつの形に仕上げていった過程は、どれも本当に刺激的で楽しい経験でした。どの課題も2年目まででは論文出版までには至りませんでしたが、これからの1年で発表された暁には是非、それぞれ詳細に紹介したいと思います。
これらを踏まえ、研究とは時間がかかるものと改めて実感しています。自分の労力だけで何とかなる部分もあれば、何ともならない部分も多く、どうしても年単位の時間がかかってしまいます。先日ふと思ったのですが、研究は大抵の農業よりも収穫まで時間がかかりますね…。そういった事実を実感できているのは研究者としてプラスだと思いますが、果たして自分の研究者キャリアでどうしていけばいいのかは未だに悩ましい部分でもあります。
またそのような悩ましさだけではなく、2年間を今の環境で過ごしてきて自分の中で少し新しい感覚も芽生えてきました。というのも、こちらでの人付き合いにおいて、最近になってようやく不必要な緊張感や壁がなくなってきたように感じています。渡英してからしばらくはどうしても言葉の壁が大きく、相手によって差こそあれどんな人と向き合うにも少なからず緊張が自分の中で残っていました。それによって自分の素の部分がうまく表現できない、相手にもうまく対応できない、結果円滑な関係性が築けず壁を感じてしまう。30半ばになって思春期の悩みのようだなと自分でも少し可笑しいのですが、言葉ができないというのはまさに幼児退行のような経験で、それが如何に大きな問題であるのかは留学経験のある方には特に同意してもらえると思います。
しかしそんな緊張感が気付いてみると今、だいぶ取り払われているように感じます。言葉を初めとして、慣習や文化、考え方などを少しずつ理解してきて、様々な人と交わしてきたコミュニケーションの積み重ねもあり、ようやく今になって、所属している研究室や学部が緊張感なく地に足ついて過ごせる環境だと自分でも胸を張って言えるような気がします。

そんな気持ちの面での変化の最大の恩恵は、自分の周囲にいる人々の研究に対する態度や生き方をより深く感じられるようになったことかもしれません。話の内容が以前よりほんの少し多く理解できる、ひとつだけ多くの質問ができる、ただそれだけなのですが、以前は見えなかったものが少しずつ見えてきているような気がします。
研究室の教授陣からポスドク、学生、サバティカルや共同研究のために滞在する研究者や、セミナーや学会の前後に滞在するビジターなど。研究キャリアや専門、国や身分も異なるそれぞれの研究者が、どのような考えとスタンスで保全科学という学問、生物多様性保全という問題に取り組んでいるのか、まさにひとりひとりの人間に反映されたひとつひとつの事例を、毎日のコミュニケーションの中で学んでいるような気がします。またそう感じられるようになったことで、様々な人の人生が行き交う交差点のような今の環境で過ごしている時間の貴重さを、改めて実感しています。
その中で、ここのところ自分が今後、中長期的に取り組みたいことを考え始めています。そんな周囲の研究者による多くの事例、また最近の自分の研究成果も踏まえて新しい方向性を決めていくことは、生みの苦しみもありながら、同時にわくわくするような作業でもあります。いい形にまとめて、また様々な機会に紹介していければと思います。
ひとまず渡英3年目、気持ちを新たにがんばろうと思っていた矢先、先日自分がグーグル・ストリートビューに写っていることに気付きました。日常の一場面を見事に切り取られています(笑)。
まぁこれも2年ほど過ごした証ということでよしとしましょう!

インテコル参加

tatsuamano2013-08-26

INTECOL2013での濃密な1週間が終わりました。地元という気楽さと、日本から参加された方々とも久々に会えるといういいとこ取りで、間違いなくこれまで参加した国際学会の中でも最も楽しめた大会のひとつだったと思います。
分野や地域、全てをひっくるめた大規模学会だったため、自分の興味に合わせて本当に多様な話を聞けたのはよかったです。セッションの数が多すぎて聴きたい発表を全て聴くことはほぼ不可能でしたが、大きい学会ではある程度は諦めなければなりませんね…
イギリス生態学会100周年記念を兼ねていたということもあって、プレナリーレクチャーを初めとして豪華な発表者の顔ぶれが揃っていました。ティルマン、ハンスキー、サイモン・レビン、ジョン・ロートン、ロバート・メイなど、初めて見る著名な研究者も多く、そんな研究者の話を一時に聴くことができたのも貴重な経験でした。研究室から同行したドクター生・ホセはハンスキーに並々ならぬ憧れを抱いており、ティータイムに本人を目の前に話しかけられずモジモジしていたので、10年前の自分を思い出して文字通り背中を押してあげました。

最終日前日に開かれた100周年記念パーティーもすごい盛り上がりでした。

ジョジーナとビルによる夫婦漫才的な司会からの…

ライブミュージック!
 
何と言ってもロケーションがすごい。

自分の発表も練習の甲斐あってうまく行うことができました。内容が言語の絶滅という少し突飛なものだったこともあって反応が少し気がかりだったのですが、聴きに来てくれた多くの方々から好意的な反応をもらえて、少なくとも生態学者には受け入れられやすい考え方なんだなと実感しました。
この大会ではtwitterがずいぶんと活用されていましたね。そもそもプレナリーレクチャーの質問をtwitterで受け付けるというのも斬新でしたが、自分の発表についても発表中に要約を投稿されたり、後に質問を受けたりと、twitter上での反応が少なからずありました。以前から、学会参加者が自分の聴いた発表について大量に投稿するのはちょっとどうなんだろうと思っていたのですが、自分の発表を取り上げてもらえるのは正直嬉しかったですね(笑)。
大会期間中にずっと感じていたのは、今自分が生活しているイギリスと生まれ育った日本という二つの世界を、行ったり来たりするような不思議な感覚でした。もう少し正確には欧米と東アジアという二つの世界でしょうか。そしてこの二つの世界は本当に違っているんだなと改めて実感しました。言語はもちろんのこと、文化や考え方など。自分の中でその二つがなかなか融合しないのは、新しい感覚でした。「日本生態学会100周年の時にはバンドのライブがあったりするでしょうか?」「…あっても太鼓でしょうね。」などと日本の方と話したのも印象的でした。
最近の自分の研究成果のこともあって、ここのところそんなことがぐるぐると頭のなかを渦巻いています。今年発表した論文では、英語や地理的な位置が国際的な研究ネットワークに参加するうえで大きな障壁となっていることを示しました。一方、今回発表した内容で言語絶滅の一番の駆動因となっていたのは、経済発展に伴うグローバル化でした。日本人研究者は、そんな矛盾するような事実のど真ん中に立っています。そんな中、世界の中の日本人としてどうやって進んでいけばいいのかは、自分の中でもまだ文章にできるほどには考えがまとまっていません。
日本生態学会が100周年を迎える頃、そしてイギリス生態学会が200周年を迎える頃、果たして世界の中における日本の研究者はどのようになっているのでしょうか。
と、そんなことを考えながらも祭りのようなインテコルが終わり、また元に戻っていつもの生活ですね。気持ちを新たに頑張っていきたいと思います。

インテコル

いよいよINTECOL 2013が1週間後となりました。日本からも多くの方々が参加されるようで、楽しみにしています。
今年はイギリス生態学会創立100周年記念も兼ねているそうです。何年か前にそれを知った時には、2013年にイギリスにいられるかどうか分からないなと思っていたのですが、結果としてこうやって参加することとなり、嬉しく思っています。とは言えロンドンは日帰りには少し遠いので、前回の生態学会のように自宅通いとはいきませんが…
実はインテコル参加自体も、会場のExCel Londonも初めてなのですが、プログラムを見る限りとても面白そうで、かつ巨大な大会となりそうですね。
私が初めて国際学会に参加したのは、2002年に北京で開催されたIOC(国際鳥学会)でした。研究室の先輩達とずっと一緒だったので気楽だったのですが、今の受け入れ教官であるビルと初めて会ったのもこの時でした。ポスターを是非見に来てほしいと直接本人にお願いしたものの来てもらえず、その後再度本人を見つけ出し、ポスターまで連れて行って無理やり発表を聴かせ、その挙句に著書にサインをもらって一緒に写真を撮るという暴挙に…。先日ふとした機会にその話をしたのですが、本人は覚えておらず笑っていました。
今思い返すと結構な不躾だったなと冷や汗がでるのですが、その時に撮った写真は嬉しくて、その後ずっとデスク脇のキャビネットにはっていたのを覚えています。
そんなこともあってか、それから10年以上経った今でも、国際学会を前にすると不思議な高揚感に包まれます。
 若い…!
ちなみに私は22日(木)12時からLarge scale ecologyというセッションで
Global distribution and drivers of language extinction risk
と題した口頭発表を行います。人間の言語の絶滅リスクについてマクロ生態学の観点から研究した内容で、ちょうど1年前から取り組んできた課題です。興味のある方がいらっしゃいましたら是非聴きに来ていただければと思います。
また、こちらではここのところ最高でも20度前半の気温が続いています。日本は文字通りの猛暑が続いているそうですね。参加される方にはいい避暑の機会となることを願っています…