Single species, multi species, field work, desk work …

tatsuamano2012-11-11

10月からヒューという新しいポスドクが同部屋にやってきた。Knowledge Exchange Programmeといって、科学者と行政のギャップを埋めようとビルが新しく始めたプロジェクトの担当である。
この彼、結構なイケメンである。人柄もいい。そのうえ、今や吉田麻也李忠成の所属するサンサンプトンFCのファンでもある。
と、まぁそんなことはどうでもいいのだが…
そんな彼が、ある日のティーの時間に
「single-species approachは全然評価されない…」
と苦々しい顔で吐き捨てるようにつぶやいた。
彼はこの夏にUniversity of East Angliaで学位を取ったばかりである。カンボジアを中心に650羽しか成鳥がいないと推定されているWhite-shouldered Ibisの生態・保全について行った野外調査が学位論文の中心課題である。650羽という個体数は、当然ながら非常に少ない数である。その上、個体群は依然として減少を続けているとされ、残された生息地の保全も進んでいない。現状で絶滅リスクが極めて高い種と考えられており、IUCNでもcritically endangeredと評価されている。
彼の学位研究は、White-shouldered Ibisの個体数、分布、生息地利用、採食生態など、幅広い側面をカバーしており、これまで極めて情報が少なかったこの種について、貴重な知見を提供した重要な研究である。上でリンクしたBirdLife Internationalのspecies fact sheetのページで彼の文献がいくつか引用されているのもそれを示していると思う。
が、学位論文の内容がなかなかインパクトファクターの高い雑誌に載らないそうだ。そんな経験から冒頭の彼の発言に至る。
「単一種だけを扱った論文が通りにくくなっていると思う?」
ビルにそう聞かれて、自分も頷いた。確証というほどではないが、体感的に「単一種の保全生物学的研究」ではいくらその種が絶滅危惧種であろうとも、例えばJournal of Applied Ecologyには載らないだろう、というような感覚は確かにある。何かしらの新しいコンセプトや手法を押し出した事例研究という形でないと、なかなか難しいような気がする。
とすると、研究の重要性というのは何なんだろうと思ってしまう。応用科学である保全生物学では、基礎科学よりは単純に研究の重要性が評価されそうでいて、実のところそうでないという例は数多くあると思う。そこでビルが近年進めているevidence-based conservationという取組みでは、査読さえ行われて出版された論文であれば雑誌に依らず、その論文が何らかの保全対策の効果について科学的証拠を提示しているかどうかを重要視している。Synopsisと呼ばれる書籍では、かなりの労力をかけてかき集められたそれらの事例がリスト化され出版されている。
そこからさらに発展して、「研究の重要性」をより正確に定量化しようとする試みも下記論文で行われた。
Sutherland et al (2011) Quantifying the impact and relevance of scientific research. PLoS ONE 6(11): e27537
この論文では、保全生物学(この場合はハチ類の保全)における各研究(論文)のインパクトスコアを、
(その論文が知見を提供した保全策の重要度)×(提供した知見の確実性)×(その知見への貢献度)
と定義して、その分野の専門家らによる各要素の評価に基づいて算出を行っている。このインパクトスコアは、各論文が出版されている雑誌のインパクトファクターと弱い相関があったものの、Natureなど非常にインパクトファクターが高い雑誌に載っている論文は必ずしも高いインパクトスコアを示しておらず、「現場」で必要とされている情報を提供できていない場合があることを示唆している。
この研究でも表されているように、各論文や各研究者が行っている研究の重要性を多角的に評価しようという動きは近年もちろん進んでいる。とは言っても特にポスドクにとって、少しでも「いい」雑誌に論文を載せることが未だに重要視されるのは避けようのない事実である。「single-species approachだから…」「一般性が低いから」という理由でリジェクトが続いてしまうのは、イギリスからカンボジアに渡って3年間、絶滅に瀕した種のフィールドワークを行ってきた若手研究者にとって、何とも報われない現実である。
一方で、最近ヒュー・ポッシンガムが書いたこんな論文を偶然目にして印象に残った。
Possingham (2012) How can we sell evaluating, analyzing and synthesizing to young scientists? Animal Conservation 15: 229-230.
「毎週私のところには、情熱にあふれた学生が保全の研究をしたいとメールを送ってきたり、訪ねてきたりする。」
論文はそんな文章から始まる。
しかしながら、彼が自分のグループでは既存データの解析やモデル研究、保全対策の効果を評価したりしていると説明すると、会話はあっけなく終わってしまうそうだ。
「私たちの研究は、アッテンボローをこよなく愛する学生達にとって、セクシーな研究ではないのだ。」
近年保全生物学でも、マクロ生態学をベースとした大きな時空間スケールでの研究が隆盛を極めている。NatureやScienceの誌面には毎号のように色とりどりの世界地図が掲載されているし、マクロ生態学をターゲットとしたインパクトファクターの高い雑誌も数多く発刊されている。実際にマクロスケールでは世界に影響力の大きい研究も多い。ミレニアム生態系評価、2010年目標、日本でも生物多様性総合評価など、マクロスケールでの保全生物学的研究が必要とされる機会が相次いだ。これらの研究の多くは既存データの解析が基盤となっており、ヒュー・ポッシンガムの言う「セクシーでない」(と学生に映る)研究の代表例だ。
この傾向は日本でも同じだと思う。少なくとも自分が大学の研究室に所属していた間には、「メタ解析がやりたいです!」と言って入ってきた学生は一人もいなかった。カンボジアで絶滅に瀕した鳥を追いかけているのと、スクリーンに映ったグラフを見てにやついているのでは、確かに前者の方がセクシーであるような気もする。この分野に興味を持った学生で、初めから後者を選ぶ人はなかなかいないだろう。
マクロスケールの保全生物学では、しばしば情報の欠如が叫ばれている。「データがない」「こんなモニタリングがいずれ必要だろう」等々…。だが誤解を恐れずに言うならば、イギリスに来て実感したのは、データは実はあり余っているということだ。もちろん分類群・地理的など様々な側面で情報が不足しているのは事実である。ただ一方で、「解析さえすれば貴重な提言ができる」というデータが手つかずのまま数多く残っているのもまた事実である。世界規模のモニタリング、各国単位のモニタリング、研究機関による調査、市民調査、自然史情報、ひとりひとりの研究者によって蓄積されたデータまで含めれば、毎日、毎年蓄積されていく情報は膨大な量に及ぶ。これらの情報をもっと効率的に解析していけば、もっと生物多様性保全のためにたくさんの有用な知見が提供できるだろう。ヒュー・ポッシンガムの上記論文の主旨はそんなところにあると思う。
ちょうど前回ケンブリッジに滞在したときに解析を行ったこれこれ、2つの論文の基盤となったのは、まさにそれぞれ日英のそんなデータだった。特にシギ・チドリ類の増減を示した論文は今回のレッドリスト改訂のためにも情報を提供できたと聞いたので、自分が解析することで少しでも何らかの違いを生み出せたのかなと、とても嬉しかった。
Single species, multi species. フィールドワーク、デスクワーク。局所スケール、マクロスケール。どれか一つが正しくて、どれか一つだけが進められるべきということは決してない。これだけ多様な世界で、多くの問題があって、それぞれ一長一短のアプローチが数多くあるのだから、それぞれが補完し合うことで分野全体が推進されて行ってしかるべきであろう。ただ、だからこそ、どのアプローチもどの研究も、いいものはいいと正当に評価され、報われていくべきだと思う。社会における研究の重要性や必要性の評価が是正されていくにはまだ時間がかかるかもしれないが、少なくともまずは自分自身が研究を見る際に正しい評価ができるよう、研究の捉え方を育てていきたいと思う。
と、そんなことを考えたポッキーの日、もとい、remembrance dayでした。